ゴッホのジャポニスム(1) - 南仏アルルへの移住 - 浮世絵ぎゃらりぃ
浮世絵ぎゃらりぃ

ゴッホのジャポニスム(1) - 南仏アルルへの移住

スポンサーリンク

印象派画家の中でもとりわけ強くジャポニスムの影響を受けた画家が、かのフィンセント・ファン・ゴッホです。
日本の浮世絵に傾倒し、貧しい生活の中でも500点近くもの浮世絵を収集するほどの熱心さでした。
そのゴッホの浮世絵コレクションを手助けしたのが、パリの画商で働いていた実弟のテオです。
ゴッホは生前、この弟テオをはじめ、妹や友人たちと頻繁に手紙のやりとりをしていました。
これらの書簡はいまも大切に保管されていて、当時のゴッホの生活ぶりや思想を詳しく知るための貴重な資料となっています。

ここではその書簡を頼りに、ゴッホにとってのジャポニスムが一体どのようなものであったのかを追ってみたいと思います。
ゴッホの書簡は、彼が19歳のハーグ時代から始まって、亡くなる直前の1890年まで、膨大な数が残されているのですが、ここでは彼が亡くなる2年前、ジャポニスムに深く傾倒していた1888年のものを中心にご紹介したいと思います。
ちょうど、彼が日本にあこがれて南フランスのアルルに移住した頃になります。

ゴッホの書簡(1)

フィンセントからベルナール宛ての手紙(1888年3月18日)

親愛なベルナール
君に便りする約束をしたので、まず、この地方が空気の透明さと明るい色彩の効果のため僕には日本のように美しく見えるということから始めたい。
水が風景のなかで美しいエメラルド色と豊かな青の色斑をなして、まるで日本版画(クレポン)のなかで見るのと同じような感じだ。
…中略…
おそらく、太陽と色彩を愛する多くの画家にとって南仏に移住すれば実際の利点はあるはずだ。もし、日本人が彼らの国で進歩しつつあるのでないとすれば、彼らの芸術がフランスで継続されることは確かだ。

親交のあった画家、エミール・ベルナールに宛てた手紙です。
クレポンという言葉がでてきますが、これはいわゆる「縮緬(ちりめん)絵」のことです。
布地のちりめんのようにクシャクシャとした細かいしわ加工を施した浮世絵のことで、幕末頃によく流行りましたが、製作にはとても手間がかかるのと技術的な伝承がなされなかったため、日本でもごく最近まで再現不可能な失われた技術とされてきました。(詳しくは「浮世絵入門/縮緬絵」をご覧ください。)
手紙の中でゴッホは、アルルの風景が浮世絵のように美しく、まるで日本にいるかのような幸せを感じていることを伝えています。

ファン・ゴッホから弟テオ宛の手紙(1888年6月5日)

たとえよそより高くつくとしても、南仏にとどまろうというのは-ねえ、そうだろう、みんな日本の絵が好きで、その影響を受けている-これは印象派画家ならみんな同じこと、それなのに日本へ、つまり日本に相当する南仏へ行こうとしないだろうか。だから、なんといっても未来の芸術はやはり南仏にあると僕は思う。ただ、二人もしくは三人で助け合って安く暮らせるのに、一人でここに住むのはまずいやり方だ。
君がここでしばらく過ごすといいのだが、そうすれば、このことがよくわかるだろう。しばらくすると見え方が変わり、もっと日本的な目で見るようになり、色も違った感じがしてくる。また、僕はここに長く滞在することによってまさしく自分の個性が引き出されてくるだろうという確信も持っている。日本人は素早く、稲妻のように実に素早く素描する。それはその神経がいっそう細やかで、その感情がいっそう素朴だということだ。

弟テオに宛てた手紙でも、やはり南仏アルルのすばらしさを伝えていますね。
日本に行きたくて行きたくて…でも、とてもそんな経済的余裕はありません。
そこで、日本によく似た風景の南仏アルルに移住することで、日本を擬似体験しようと考えたわけです。
いまの彼にとっては、ここアルルこそが「日本」なのですね。

手紙からは、日本によく似た環境に身を置くことによって、感性までも日本人に近づけようと努力している様子が伺えます。 また、印象派の画家たちがみな日本の浮世絵の影響を強く受けていることも、このゴッホの手紙からよく分かります。

スポンサーリンク