浮世絵ができるまで(10) - まとめ - 浮世絵ぎゃらりぃ
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浮世絵ができるまで(10) - まとめ

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まとめ

いかがだったでしょうか。
浮世絵を製作するにあたって「検閲」があることや、絵の内容や色指定に、絵師よりも版元の意向が大きく影響したことなど、意外に思われた点も多かったのではないでしょうか。
浮世絵というと、なんとなく現代の芸術家のように、浮世絵師が自由奔放に創作して描いていたようなイメージが強かったのではないかと思いますが、実はそうではなくて、絵師はあくまで請け負い仕事・納期仕事の「画工」でしかなかったのです。

当時は歌舞伎が庶民の最大の娯楽でしたから、役者のブロマイドであり、また歌舞伎の宣伝チラシでもある役者浮世絵は、歌舞伎公演の集客につなげるための宣伝広告物としての役割が大きかったわけです。
当然、版元はそのことを意識したうえで次に出す絵の企画を立てましたし、製作スケジュールも歌舞伎公演の日程にあわせて計画されました。 つまり、完全に歌舞伎との連携ビジネスとして確立していたわけで、浮世絵の製作過程にきちんとした分業体制が敷かれていたのも、現在の出版・広告業界におけるイラストレーターや印刷会社の役割に照らして考えてみれば理解しやすいと思います。浮世絵製作は、今でいう映画や演劇のポスター作りのようなものだったわけです。

重要なのは、主導権を握るのはあくまで版元だということ。
加えて検閲もありましたから、絵師の独断で勝手に出版できるようなものではなく、何を描いてもよいというものでもありませんでした。

浮世絵が芸術品として評価される今日では、絵師の存在ばかりがクローズアップされがちですが、先にも述べたように現代でいう絵画とは性格の異なるものであって、あくまで協同作業による合作物ですから、絵師一人の力だけで作品化できるものでは決してなかったのです。
歌麿だろうが北斎だろうが写楽だろうが、浮世絵師といわれる人たちが描くのはあくまで「下絵」までで、最終完成形に仕上げるためには、彫師、摺師たちの手助けが不可欠であったことを忘れてはいけません。

次回はそんな縁の下の力持ち、彫師と摺師の仕事ぶりに注目してみたいと思います。

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