林忠正(1) - パリ渡航~美術商へ - 浮世絵ぎゃらりぃ
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林忠正(1) - パリ渡航~美術商へ

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ジャポニスムを語る上で決して外すことのできない重要な人物がいます。
パリで画商として活躍し、浮世絵の普及と啓蒙活動に努めた日本人・林忠正です。

概要

林忠正

もともと法律家を志していた林は、東京の学校でフランス語を学んでいましたが(当時、法律学と政治学にはフランス語が不可欠だったため)、ある時、従兄弟のパリ留学に触発される形で自身も単身パリに渡航します。
この時、1878年。ちょうど3回目のパリ万博が開催される年で、林は貿易商社の起立工商会社の通訳として雇われ、この万博に関わることになります。

万博終了でいったん失業したものの、数ヵ月後、再び起立工商会社に身を置くことになり、既に日本美術の専門家として名を馳せていた副社長の若井兼三郎の元で日本美術の勉強を始めました。
日本から美術書を取り寄せ、猛烈な勉強をした彼はたちまち頭角を現し、若井に並ぶ日本美術のエキスパートとして知られるようになります。

1882年、若井兼三郎とともに起立工商会社を退職。若井と組んで「若井・林・カンパニー」としてパリ、ロンドン、ニューヨークと忙しく飛び回りながら、美術商としての知識を蓄えます。
1886年、堪能なフランス語を活かしてパリ・イリュストレ紙の日本特集号にフランス語で記事を寄稿。二万五千部の大ベストセラーに。
その後彼は1905年に日本に帰国するまでパリで二十七年を過ごし、ジャポニスムに沸く現地をリアルタイムで体験しながら、エドモン・ド・ゴンクールをはじめ評論家ルイ・ゴンス、画商サミュエル・ビング、そしてモネ、ドガら印象派画家とも幅広く交流し、彼らの日本理解の大きな手助けとなりました。

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