林忠正(4) - 日本美術の啓蒙 - 浮世絵ぎゃらりぃ
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林忠正(4) - 日本美術の啓蒙

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林忠正の業績/日本美術の啓蒙

ヨーロッパのジャポニスムブームを支えたのは、日本から大量に運ばれた浮世絵や陶磁器でした。
その窓口となったのがパリに二軒あった日本美術店で、一つは林忠正の店、もうひとつはサミュエル・ビングの店でした。
ビングの店には、あのゴッホも足しげく通って、ここで浮世絵を勉強したり気に入ったものを購入していたことは有名ですね。
ジャポニスムブームの中心でもある浮世絵は、この両店を通して市場に出て行きましたので、林の店とビングの店はまさにジャポニスムの震源地であったともいえます。

ビングと林は美術品をそれぞれ日本から独自のルートを持って買い付けていたようです。
林の場合は、日本に専門の買い取りスタッフを5名置いて、そこで良質な芸術作品とそうでないものを選別し、彼が認めた一級の芸術品にだけ、図のような品質保証の印を押して販売していました。

林忠印

彼の価値観にそぐわないものは取り扱いませんでしたし、客に対しても、その美術品を持つにふさわしい品格を備えることを求めたといいます。
ライバルのビングの店が開放的で社交的な雰囲気だったのに対し、林の店は自身の価値観を理解してくれるお得意様限定の、やや閉鎖的なスタイルでした。

自身も熱烈な好事家であった林は、賞賛に値すると思うものを顧客たちにも自分と同じように愛でてもらいたいと望んでいた。美しい作品が、それに対してしかるべき敬意を感じることのできない人の手に渡ったり、それをただ虚栄心の道具にしてしまうスノッブに譲ったりすることを彼はひどく嫌っていた。そこから、必ずしも金持ちとは限らないわずかな何人かを大事にしたり、それ以外の人たちに隠し立てをしたりするような態度が見られたし、ヴィクトワール通りの彼の新しいアパルトマンでは客を完全に分断する方法がとられたのである。そこでは、愛好家同士が鉢合わせすることは絶対になく、その人にふさわしいと彼が判断する品物を個別に見せられたのである。 「Tadamasa Hayashi」レイモン・ケクラン(1906)

この文章からは店の独特なスタイルとともに、芸術に対して妥協しない林の人柄もうかがい知ることができますね。
当時は、日本の美術品であればどんなものでも売れた時代でしたが、林は儲けよりも自身のポリシーを優先して、海外に出しても恥ずかしくない品質のものだけを扱っていました。
林自身が日本人だからということもあるのでしょうが、日本美術に対しては常に敬意と誇りを持って接していたようです。

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