広重・東海道五十三次の謎(3) - 浮世絵ぎゃらりぃ
浮世絵ぎゃらりぃ

広重・東海道五十三次の謎(3)

スポンサーリンク

八朔御馬進献の儀

さて、広重が同行したとされる御馬進献の行事ですが、これは毎年8月1日(旧暦)に、江戸から京の御所への献上物として、幕府管轄の牧場から選ばれた特別な駿馬を運ぶ行事のことです。
藤川の図にもあるとおり、まず先頭に露払い役が二名、続いて夾箱馬檜杓、進献馬二頭、駕籠と付添いの武士数人、一本道具、小荷駄馬という編成です。

もし広重が実際にこの御馬進献の行事に同行したのであれば、藤川だけでなく、それ以外の絵にも同じ行列が描かれていてもおかしくないはずです。
そこで東海道五十三次55枚をよく見てみると、幕府の行列らしきものが描かれているのが日本橋、品川、箱根、白須賀、藤川、岡崎、亀山、土山の八図。
しかしどれもただの大名行列を描いたもので、御馬進献の行列とはっきり確認できるのは「藤川」1枚だけなのです。

55枚の絵の大部分に御馬進献が描かれているならともかく、このたった1枚だけを根拠に広重が同行したと見るのは、やや説得力に欠けるように思われます。
それならむしろ、より多くの絵に描かれている「大名行列に同行した」と考えた方がまだ納得できるのではないでしょうか。
(もっとも、広重のような町絵師が大名行列への同行を許されるなどということは、御馬進献よりもっとありえないと思いますが…。)
また、藤川の図を根拠とするなら、御馬進献の行列に同行しながらなぜか他の宿場では大名行列の絵を描いているという新たな疑問が出てくることになります。
このことは逆に大名行列に同行したと考えた場合も同様で、全てに大名行列が描かれるべきところに、なぜか藤川だけ御馬進献の図が混じっていることの理由を考えなければならなくなるわけです。
けっきょく、大名行列と御馬進献、この2つの異なる行列が同シリーズに描かれていることにより、どちらの説をとっても矛盾と混乱が生じるわけで、藤川の図の存在は、広重が東海道を旅した証拠どころか、むしろ逆にシリーズの矛盾点を露呈させているともいえるのです。

スポンサーリンク