広重・東海道五十三次の謎(5) - 浮世絵ぎゃらりぃ
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広重・東海道五十三次の謎(5)

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広重東海道の最大の問題点

東海道行脚と定火消引退の時期の問題は、東海道五十三次の成立時期を従来の定説よりもう少し遅く考えるなら、いちおう説明はつけられます。
あるいは天保三年旅行、翌四年出版と考えるのも、たしかに時間的余裕こそありませんが不可能ではないかもしれません。
しかし、それを置いてもまだ不思議な点が広重東海道にはいくつか存在します。

たとえば、季節感。
掛川で春の田植え風景を描いていたかと思えば、石薬師ではなぜか晩秋の収穫後の農作業風景を描いていたり、夏の雨が描かれた庄野の次の亀山では一転、真冬の景色となっているなど、とにかく季節に一貫性がないのです。
そして、描く対象。
鞠子や御油は、風景画というよりは明らかに十返舎一九の東海道中膝栗毛を意識したものです。
とくに御油の留女(とめおんな)の客引き合戦などはまさに膝栗毛の世界そのまま。
つまりこれらは真面目に風景を描写したものではなく、どちらかというと滑稽画風に東海道中膝栗毛の場面を再現することに重点を置いた、いわば想像図の色合いが強いわけです。

真面目に宿場の風景を描いている絵もある一方でこうした滑稽画があったり、赤阪のように風景ではなく旅籠の様子を描いていたり、前述したように大名行列を描いていたりと、とにかく広重の東海道は宿場ごとに絵のポイントが様々なのです。

この「統一感のなさ」こそが、実は広重東海道五十三次の最大の問題点であり重要なポイントでもあるのです。
描かれた季節もバラバラ。視点もバラバラ。
これはつまり、シリーズの55図が一時期に旅をして描かれたものではなく、異なる時期、異なる視点で描かれた図を寄せ集めた可能性が高いことを示しているといえます。
従来の説では、たとえば季節感の矛盾について、「夏の風景をもとに冬景色をイメージした、広重の想像力の産物である」などと苦しい説明がされていたわけですが、何もそんなこじつけのような不自然な解釈をしなくとも、素直に「旅をせずに他人の絵を模写した」と考えれば、全てが矛盾なく説明がつくわけです。
もっとも、「他人の絵を模写した」というなら、その元絵となったものが存在するはずで、それが示されなければただの「仮説」で終わってしまう話です。
というわけで、次回はその広重東海道の元絵となったと考えられる絵についての考察を行いたいと思います。

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